偏頭痛

てんきわるいのすぐわかってべんりよね

緑の丘のすてきなお家

「あなたが守ってあげなさい」

3歳の時、両親が離婚した。原因は父親の不倫と母親が父親の実家と関係が上手く築けなかったから…他にもあるのかもしれないけどもう20年以上も前のことなので当の本人達も覚えていないと思う。母親はとても強い人で、でも脆い人だった。離婚した時に祖母がわたしにそう言ってきた。よくある、話である。

 

野菜が嫌い。特に深緑色の野菜が好きではない。葉っぱの味がする。本当に好きだったのはハンバーグとかカレーとかシチューとかなんだけど好きなものは?って聞かれていつも「野菜」と答えていた。ご飯の前に祖母がお菓子を渡そうとしてきたら「ご飯の前だから今は食べないでおくね」と言った。そう言うと、周りの大人が喜んでくれるのを知っていたから。「この子は偉いね。」と。

大人がわたしのことを褒めると、それはイコールわたしを女手一つで育てている母親が褒められていることになる。母親はいつも誇らしげだった。それがすごく嬉しかったので、いい子でいる癖がついてしまった。色のついたジュース。子供が好きな変な色のお菓子。コンビニのカップラーメン。ほんとは全部興味があったのに。

ある日、男が家に転がり込んできた。母親と2人で大切に築いて来た大切な大切な家にだ。その男はものすごく子供が嫌いで、見るのも嫌だったらしい。1年くらいは一緒に住んでいたはずなのにわたしはその期間6畳の自分の部屋に閉じ込められていたので一緒に食卓を囲んだのは本当に片手で数えられるくらいだったと思う。そのくせ勝手に部屋に入ってきては部屋が汚い!とか難癖をつけてたくさん殴られた。どうして母親はわたしじゃなくこの男と一緒にいることを選んだんだろう…と思っていた。

その頃お誕生日に祖母がシルバニアファミリーの「緑の丘のすてきなお家」を買ってくれた。

当時玄関に風見鶏がついた緑色の屋根の家が描かれた小さな絵が飾っていて、「これはだれのおうち?」と母親に聞いたら「いつか住みたい場所」と言っていた。

その風見鶏の家にそっくりだったのだ。

わたしにとってシルバニアファミリーは幸せの象徴だったので誕生日に買ってもらった日はとてもご機嫌だった。母親は開けると散らかるから開けたらダメ、と言った。ので緑の丘のすてきなお家が入った箱は5歳の誕生日に買ってもらってから小学2年生になるまで一度も開けたことがなかった。

1人で部屋に閉じ込められている間はいろんなことを想像した。兄弟がいる想像。小学校に通う想像。魔法使いになる想像。占い師になる想像。(Dr.リンにきいてみてという漫画がすごく流行っていた)母親が開けてはいけない、って言った緑の丘のすてきなお家が入った箱は、私専用の勉強机になった。毎日1人で喋った。架空の兄に、架空の姉に、架空の母親に、架空の父親に。架空の友達に、架空の先生に。

そして男は急に借金を母親に押し付けていなくなった。信じられないくらい家計が貧乏になった代わりに、わたしは部屋から出ることが出来た。前に牛乳を零したのを上手に片付けられなくて部屋は少し臭いまんまだった。

今は大人になってお金を稼ぐ知識があの時より沢山あるのでちゃっちゃと稼いでそれをぽんっと払ってあげるのが一番の解決策になるんだけど、当時はそんなこと出来るはずもなく、晩御飯にしけたカールを食べることで家計の負担を減らしたつもりになっていた。トラウマ、みたいなものって信じないタイプなのに何故かカールはあれから食べられなくなった。

それから母親はあんまり家に帰ってこなくなった。私にはわかる。母親はわたしのこと、産まれてから今に至るまでずっと大好きでいてくれてたはずだけど、邪魔な時もあったはずで。人間は犬や猫と違ってほっといてもある程度なんとかできるので、わたしは邪魔だからほっとかれていたんだな、と。20歳の時受けたカウンセリングでそれがネグレクト、と呼ばれる虐待の一種だと知った。愛されているのに虐待されることもあるのか…と思った。

小学二年生のとき、父親ができた。今度の男は子供が好きなんだな…と初めて会った時安心した。新しい父親は交友関係が広く、色んなところに連れて行ってくれたし、それこそ友達とバーベキューやらスキー旅行やらを積極的に計画してくれて、わたしが憧れていたことは全て叶えてくれた。母親も楽しそうにしていたし、今まではわたしが母親を「守る」役目だったのに、その役目は自然と新しい父親に取られる形になった。わたしの産まれてきた意味も生きている意味もそこで宙ぶらりんになってしまった。父親の友達の子供は女の子でわたしより3つ歳下だった。ある日遊びに来ることが決まって母親が「そう言えば随分昔に買ってもらったシルバニアファミリーのセットあったんじゃない?あれで遊べば?」と言ってきた。

開けたくて開けたくて開けたくて開けたくて開けたくて開けたくてたまらなかった緑の丘のすてきなお家は、本物の勉強机が来てからずっと押し入れの奥にしまわれてたのに突然日の目を見ることになる。当時はあんなに憧れて楽しみにしていたすてきなお家は、思っているより素敵ではなかった。小さくて簡素で、すぐに飽きてしまった。そしてその女の子にあげた。

 

人生で一番幸せだった時っていつ?って聞かれると5歳のとき、と迷わず答えてしまう。

晩ご飯はコンビニのおにぎりかしけたカールだったし母親はなかなか帰ってこなかったしお留守番が仕事だったから友達は出来なかったしシルバニアファミリーのおうちは開けさせても貰えなかったけど、母親と二人きりであの狭い家に住んでいたあの日々が一番幸せだった。もうどうもがいても戻れない5歳。

 

もし子供が出来たら与えたおもちゃはすぐに開けさせよう、流行り廃りがあるので2年も経てばそのおもちゃはゴミになってしまうのだから。幸い子供ができることは無いのでいらぬ心配だったな。